教員歴6年の元教員が執筆
関わってきた子どもの数述べ300人以上
特別支援学校での勤務経験あり
この記事では、特別支援教育での実体験を交えて、「障害がある人と自然に関わる方法」についてお伝えします。
先にお伝えしますが、障害者への共感はよく軽視されがちですが、実は非常に重要で、コミュニケーションの土台となります。
なぜなら、障害のある人のことを「自分とは違う」と思い込んでしまうと、
相手が困っている原因がわからず、見当違いな関わり方をすることになってしまうからです。
同じ人間として共感的に相手を見てみると関わり方のヒントが見えるようになってきます。
「特別支援の基礎:障害を理解するための第一歩」
今回は「特別支援」について、私たちが知っておくべき基本的な考え方をお話ししたいと思います。
特別支援は、障害のある人々が日常生活や学習で直面する困難を理解し、支援することを目指しています。
しかし、そもそも「障害」とは何なのでしょうか?
障害のある人々をどのように理解し、共に生きていけば良いのでしょうか?
障害のある人は私たちと全く違う?
「障害のある人」と聞くと、私たちとは全く別の存在のように感じるかもしれませんが、それは誤解です。
障害のある人と私たちには、質的な違いではなく、量的な違いがあるに過ぎません。
どういうことでしょうか?
私たちは皆、生活の中で何らかの「つまづき」や「不便」を経験しています。
障害のある人は、私たちと同じようにそのようなつまづきを経験していますが、その度合いや頻度が大きいだけなのです。例を挙げてみましょう。
エピソード1: 目が見えない人
視覚障害を持つ人の例を考えてみましょう。もしも目が見えない状態で生活することを考えると、多くの困難が伴います。
しかし、視力が悪い人がメガネをかけると、その困難は解消されます。
つまり、適切な支援やツールがあれば、視覚障害も「障害」として捉えられない場合があるのです。
エピソード2: 算数が苦手な子ども
ある子どもは、算数の「位の概念」が抽象的すぎて理解できず、授業についていけませんでした。
先生が具体物を使って体感させることで、次第に理解できるようになりました。
この子にとって、抽象的な概念は困難な壁でしたが、視覚的に理解できる工夫を通じてその壁を乗り越えることができました。
このように、障害がある人に対して適切なサポートや工夫を提供することで、彼らも社会でより生きやすくなるのです。
エピソード3: 時間割の変更にパニックになる子ども
ある日、学校で急に時間割が変更になったことで、ある子どもがパニックになってしまいました。
この子にとって、予定が変更されると、自分でコントロールできない状況や先が見えない不安が強いストレスとなります。
その結果、気持ちが落ち着かなくなり、パニックを引き起こしてしまうのです。
私たちも、同じような状況で不安を感じることがあります。
例えば、歯医者で治療がいつ終わるのか分からず、次に何が起こるか見通しが持てない時、不安に感じることがあるのではないでしょうか。
歯医者での不安感と、この子どものパニックは、根本的には同じで、どちらも自分のコントロールが取れない状況や見通しが持てないことから来るものです。
障害と呼ばれるものも、こうした「見通しが持てない」「コントロールができない」という状況が頻繁に起きることで、生活に大きな不便が生じる場合に現れます。
障害がある人と共に生きる社会を作る
障害のある人々が直面するつまづきは、私たちには障害として認識されないことが多いですが、実はそのつまづきを解消することは、私たち全員にとっても生きやすい社会を作ることにつながります。
例えば、エレベーターや段差のないバリアフリーな環境は、車椅子を使用している人には必須ですが、私たちにとっても便利な環境です。
また、視覚障害のある人のために音声案内があることで、目が不自由でない私たちも暗い場所や混雑した場所で安心して移動することができます。
つまり、障害のある人々が私たち全員が生きやすくなるヒントを教えてくれているのです。
まずは「共感的な目」で見ることから
特別支援の基本は、障害のある人々を共感的な目で見ることです。障害のある人々が社会で活躍できる環境を作ることは、社会全体の生きやすさを向上させることでもあります。
この記事では障害のある人々を理解し、共に生きるための私の考え方を紹介しました。
特別支援の理解を深め、日常生活や教育の場で役立つヒントを得ていただければ幸いです。