子育て

「叱る」とは、信じて待つこと──深夜4時の夜泣きが教えてくれた親の役割

1時間泣き叫ぶ子に向き合って気づいた「教育」と「安心」のバランス

この記事で伝えたい3つのこと

  • 叱るとは、子どもを変えることではなく“信じて待つこと”
  • 泣けば通る世界は、子どもにとっても不安定
  • 安心と教育のバランスは、「軸のある関わり」の中にある

「怒る」と「叱る」は本当に違うのか?──教育の限界を感じた瞬間

よく言われる、「怒る」と「叱る」は違う──
怒るは感情的な爆発、叱るは教育的な働きかけ。
でもそれだけでは足りない。叱ったからといって、できるようになるわけではないから。

だから私は「叱る」とは、
・目的を持って関わること
・落とし所を用意すること
この2点が必要だと感じた。

「甘やかし」と「支え」の狭間で揺れた夜

最近、私が体調不良のため夫がメインで育児を担っている。
夫は子どもの気持ちを読み取るのが得意だけど、軸を持ってNOを言うのが苦手。
そのため、子どもが泣き叫べば、アンパンマンを見せる、ゼリーやお菓子をあげる、夜中でもリビングに付き合う──そんな対応が日常になっていた。

しかし昨夜、深夜4時に「リビングに行きたい!」と泣き叫ぶ子どもに、私は限界を感じた。
このままではいけない。
感情的に怒鳴りたくなった自分を、なんとか踏みとどまって考えた。

子どもはわがままではない。「誤学習」しただけ

大事なのは、子どもが「悪い子」になったのではなく、
「泣けばなんでも願いが叶う」と学習してしまっただけだということ。

誤学習したなら、学び直せばいい。
それが今回、私が「叱る」という行動を取った理由。

2歳の子に言葉で言い聞かせても、すぐには伝わらない。
だからこそ、「泣き叫んでもパパは一緒にリビングへ行かない」という行動で示す必要があった。

「反応しない」一貫性と、あえてつくる“落とし所”

1時間近く、子どもは泣き続けた。
私は眠くて限界だったけど、ずっと頭をフル回転させながら「今、声をかけるべきか?」を見極めていた。

そして、泣き声のトーンが変わり、「パパ!」から「ママ!」に変わったタイミングで初めて声をかけた。

「ママとぎゅーする?ねんねする?」
子どもはまだ「パパがいい」「ねんねしない」と言ったけれど、そこに反応しないことを貫くことで、最後は自分から「ねんねする」と言い、抱きついてきた。

「甘え」と「自立支援」は両立できる

正直、この方法が正解だったかはわからない。
でも、私なりの最善の選択だった。
学習しなおすためには、一時的に混乱が大きくなる「再調整の痛み」が避けられない。

そして、朝。
いつもはパパっ子の子どもが、私に手を出して「おはようタッチ」と言ってきた。
「一緒に行こう」と言って、手をつないでリビングへ向かった。
──あの1時間は、ムダじゃなかったんだ。

子どもは“止めてくれる大人”を求めている

泣き叫んで願いが通る世界は、子どもにとっても不安定でストレスだったのかもしれない。
甘やかすだけでは、安心できない。
子どもは時に、「受け止めながら、止めてくれる人」を求めているのだと思う。

叱るとは、子どもを信じて待つこと

叱るというのは、子どもを「ダメな存在」として否定することではない。
むしろ、「きっとこの子は学び直せる」「安心できる関係を築ける」と信じて待つことだと思う。

そして、泣き声の奥にある子どもの不安や願いに、耳をすませること。
昨夜の体験は、叱ることの本当の意味を少しだけ教えてくれた気がする。

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